じゅん散歩は築地!2024.4.2放送&築地さんぽ

散歩番組・本

2024年4月2日のじゅん散歩は、築地を歩きした。
この記事では、じゅん散歩の放送を紹介したあと、私が歩いた築地さんぽについても紹介します。

じゅん散歩 築地 オープニング

朝日新聞社の屋上から、築地市場の跡地を見下ろします。
じゅん散歩では、毎回この場所から放送しているそうですが、前回の放送とはほとんど変わらず、築地市場の跡は広い空地になっています。

「今日はへリコプターに乗って上空から・・」と言った高田さんですが、ヘリポートにはおもちゃのヘリが。普通の散歩をするようです。
に、事業者の募集が行われている。街は今外国人観光客を中心に大賑わいとなっている。

「築地市場跡地は、1万人規模を収容できる集客施設やホテル・国際会議場などの整備を条件に、事業者の募集が行われていて、5月に結果がわかる」とのナレーション。ついに築地市場跡地の開発がはじまるようです。

tukiji SHOURO(つきじ しょうろ)玉子焼屋のミルクセーキ

高田純次さんは、築地本願寺が見える交差点で、ミルクセーキのディスプレイを見つけて店内へ。
小ぶりのガラス瓶にはいった黄色いミルクセーキが数本並んでいました。

これは玉子焼屋のミルクセーキという商品で、お店の女性が「卵、牛乳、お砂糖、隠し味でホワイトチョコレート、バニラビーンズでできている」と教えてくれます。

会長さんが、「築地場外市場で大正時代からの店。玉子屋だから、卵を使ったミルクセーキを作った」
この店は、築地場外市場にある老舗玉子焼専門店 つきぢ松露 のスイーツ店で、「玉子焼屋のぷりん」なども販売しています。

黄色が基調の明るい内装の店内で、特別にミルクセーキを飲ませてもらいます。

つきじ松露は、今年で100周年だそうです。


玉子焼専門店 つきぢ松露は、お店のサイトによると、こんな歴史があるようです。

・初代・齋藤乙松(おとまつ)が、日本橋市場(現在の人形町)の松露寿司に丁稚奉公に出される。
・大正13年(1924)に築地に松露寿司として店を構える。
・終戦後、やみのネタで警察の目をかいくぐって寿司をにぎらなくてはならなかった時期に、初代の妻が店先で焼いていた卵焼きが評判になる、昭和21年に卵焼き屋に移行する。
・二代目、三代目の時代に、有限会社設立、デパートへの出店、工場の設立などがあり、多くの人に知られるようになる。

ドラマチックな歴史があるお店ですね。
だしは限られた人にのみ受け継がれているのだそう。
築地だけでもお店がいくつかあるようです。

築地場外市場

信号を渡って築地場外市場へ。

大にぎわいで、外国の方が多い。
シアトルから来たという男女は、「イチローが好きでこれから銀座に行きます」

韓国からきた若い姉妹にも話かけます。
「ブラザー」と自分を紹介する高田さんに「おじいちゃん」とリアクションが返ってきてしまいます。

熊出屋 山野井商店

次は、熊出屋 山野井商店に入ります。
昭和26年創業、プロが買いに来る道具の店です。

買い出しかごがあります。
「柔軟性と通気性が大事」と店主。新潟で仕入れたものだそう。

「外国の方が好きなものは?」と質問した高田純次さん。
玉子焼鍋がに人気だそうです。玉子焼きが売られているのを見て、作りたくなるらしい。

繊細な盛り付け箸や、銅製のおろしがね。
おひつも売られています。
「おひつで出すとおしゃれだよね」

焼うお いし川 築地本店 肉を焼かない焼肉

焼き魚の看板を見て、焼うお いし川 築地本店へ。
社長の石川さんが案内してくれます。
「焼き魚とは違うの?」と聞く高田さんに、「実際に食べてみてください」

高田さんは、焼うお定食「最強」を注文

店内はロースターもあって焼肉店のよう。
社長の石川さんは「焼肉だと思て食べてください」

この店は、築地青空三代目という老舗の寿司屋さんの社長の店のようです。
名物・炙り寿司を進化させて誕生した「まるで焼き肉みたいな焼うおのお店」 

目の前で焼いた魚をごはんに乗せて食べます。
薬味はだいこんおろしなど。真鯛、のどぐろなどが味わえます。

記事後半は、私が歩いた築地をご紹介します。2023年10月に友人と歩いて、さんたつby散歩の達人にも投稿した散歩です。

波除稲荷(なみよけいなり)神社

波除稲荷(なみよけいなり)神社から歩き始めました。

築地場外市場のHPによると、築地は地名のとおり海を埋め立てて築いた土地。明暦の大火後の復興のため、隅田川河口部にあたるこのあたりが開発されました。埋め立ては荒浪の強さで難航しましたが、「流れてきた御神体を祀ったところ浪が静まって工事ができた」といわれています。

埋め立てた土地には、武家屋敷と、あとから紹介する築地本願寺が移ってきたそうです。その後、築地本願寺の南側に、日本橋魚河岸の魚問屋たちも移ってきました。明石橋にかけて町人町ができて、河岸がもうけられ、魚が水揚げされました。

魚や玉子などの塚があります。

築地場外市場 丸福水産

この日は、ちょっと立ち寄っただけだった築地場外市場。
串にさした卵焼きとか、店先で食べられる寿司とかがあって、活気にあふれてます。

関東大震災後に、日本橋魚河岸や、京橋の大根河岸(だいこがし)が築地に移ってき、1935年(昭和10年)に東京都中央卸売市場築地本場が開業します。

また、築地本願寺の西南方向にあった寺社や墓地が郊外に移転します。そのあとに水産物商などがはいってきて、自然発生的に築地場外市場ができました。中央卸売市場が豊洲に移転したあとも、築地場外市場はにぎわいを誇ります。

マルサン三軒屋とカットハウス松原 築地の看板建築

隅田川テラスに向かって歩きます。
途中の建物に目が吸い寄せられる。


左は理容店みたい。右は何のお店だろう。

あとから調べると、やはり有名な建物でした。
右は「マルサン三軒屋」といって、元々は洋品店で、現在は鰹節などを扱っている。
左は「カットハウス松原」

特に左の建物は、中央区のホームページにも載っていました。
中央区ホームページ/カットハウス松原 (chuo.lg.jp)

「3階建てマンサード屋根の看板建築で、内部はメゾネット形式の長屋
隣の看板建築と並んで群としてよく残り、歴史的な景観を形成している」とあります。
道の向こうからもオーラを感じました。

隅田川テラス

隅田川テラスにやってきました。勝どき橋が見えます。


天気のよい日で、開放感がすごい。どちらかと言えば多摩川系の住人の私には、隅田川の景色は新鮮。

対岸は月島のビル群。船はどんどん通ります。


写真に写っているのは月島川の水門です。
この水門は、「散歩の達人」2023年9月号にイラストが載っています。単葉ローラーゲート方式で1964年にできたそう。ローラーゲートって、なんだろう?

護岸がレンガ風になっていて、花壇にはオレンジの花が咲き、気持ちのいい散歩道です。

聖路加国際病院

隅田川ガーデンから、聖路加国際病院を抜けて、明石町へ。


この散歩では寄らなかったのですが、あとで読んだ『東京骨灰紀行』(小沢信男著)には、聖路加病院のことが書いてありました。
外国人宣教師が作った病院だけれど、日本の金持ちや、日本の庶民もお世話になった病院であると。築地が空襲の被害が少なかったのは、この病院があったためではないかとも書かれていました。
「この病院は築地の大事なものだなあ、もう一度見に行かなくちゃ」

塩瀬総本家

歩いていると「塩瀬総本家」を発見。


重厚な店内には、歴史を語る展示の数々。
ここで、日本初の饅頭と、ハロウィン仕様の落雁を買いました。

お店のHPには、「1349年:初代林浄因が中国より来日、奈良に住し日本で初めて餡入りの饅頭を作り売り出し紫庭に上がる」
とあります。
お饅頭にそんな歴史があったのですね。林浄因さんが、お饅頭を作ってくれてよかった!

そして今度こそ明石町へ。

明石町

現在の明石町一帯には、明治2年から明治32年まで外国人居留地がありました。
多くのミッションスクールがここで誕生し、「電信創業の地」「指紋研究発症の地」など「日本初の○○」もたくさん。
芥川龍之介の生家は居留地近くの牧場だったらしいし、話題満載すぎる町です。

この写真は、明石小学校の前で撮りました。
「築地外国人居留地跡」の看板があります。

レンガ堀は、明治期のレンガ堀で、ガス街灯の柱の部分は、形や材質から、明治末年ごろのものではないかと推定されるそう。
とてもきれいな状態で保存されています。

カトリック築地教会聖堂

道を渡ると「カトリック築地教会聖堂」
明治初期に創建された教会で、現在の建物は関東大震災後の昭和2年に建ちました。

中に入ることができます。


とても静かな教会には人影もなく、雰囲気を満喫しました。

教会の歴史を語るものを飾った部屋もありました。教会の幼稚園の制服や写真、初期の建物に使われていた十字架など、意外なものがありました。

築地本願寺

ぐるりと回って、築地本願寺へ。

築地本願寺は、江戸時代の明暦の大火のあと、幕府の命令で築地に引っ越してきました。
埋め立てによって作られた築地。
築地本願寺の土地は、佃島の熱心な信徒たちが埋め立てたそうです。
「引っ越せ、海の上に。埋め立てて」ってすごい命令です。

そして、関東大震災後に、今見ても斬新なデザインのこの建物になりました。

お寺の敷地内の「TSUGUMI」で、友人とランチ。
開放的なスペースで、本願寺を見ながらゆっくり食べられます。
メニューも「ブッダボウル」などお寺っぽく、かつおしゃれでリーズナブルです。

カウンター席があるので、ひとりごはんんも快適だと思います。

考えてみれば、2時間の間に、神社と教会とお寺に行った築地さんぽ。
小さいエリアの中に、いろいろな国から来たあれこれが、ぎゅっと詰まっていました。

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