八丁掘・湊・佃 江戸の気配の中央区さんぽ

佃島 佃住吉講 文学系散歩

本の森ちゅうおう大八丁堀展を見にいきました。展示で町への興味がわきすぎて、繰り出した散歩。八丁堀佃島と、江戸の名残が残る町を歩きました。

図書館の展示を見て、いきなりスタートした散歩。後から考えると、見どころを抜かして歩いた感も。それでも、そこここに江戸の気配が残り、特に佃島の空気感は独特で最高。

  • ひとりごはんポイント★★★☆☆ 
    中央図書館のカフェは、図書館だけあってひとりに快適。佃島でのひとりごはんにもチャレンジしたかった。
  • トイレポイント★★★★☆
    中央図書館と月島駅くらい。でもその距離は1kmくらいなので、問題なし。

八丁堀で神輿(みこし)や仏具をつくる 秋山三五郎商店

秋山三五郎商店

初めて降りた八丁堀駅。鈴らん通りを歩きます。
湊町などに入港する船員が買い物をする繁華街として栄え、関東大震災後には、銀座以上の繁華街だったそう!古くから栄えていた感じ、今も残っています。

屋根の傾斜もいい感じの秋山三五郎商店
「この店の感じ、ただものではない」と調べたら、江戸末期創業の神仏具の店。神輿や仏壇、仏像を作っています。初代秋山三五郎さんは、重要文化財の神田多町の神輿を作ったのだそう。

このあと本の森中央で見た「大八丁堀展」で、この店のみなさんの写真が展示されていました。

八丁堀 京華スクエア 明治時代の小学校

八丁堀の与力・同心組屋敷跡の看板。
この建物も風格があって気になりました。

あとで調べると、この建物は京華スクエア
明治34年創立の小学校が閉校になったあと、京華スクエアに生まれ変わったそうです。早稲田大学のエクステンションスクールや、シルバー人材センターなどがはいっています。写真を撮った日は、ワクチン接種会場になっていました。

本の森ちゅうおう

本の森ちゅうおう。
中央区の新しくできた話題の図書館。親子も大人も本を持ってうれしそう。

本の森ちゅうおうのカフェ アンペア 八町堀女子ひとりごはん

入口にカフェ アンペアがあります。図書館のカフェは、ひとりごはんの聖地!
テラス席があるのもうれしい。
バタートーストとコーヒーをいただきました。

写真はコーンだらけですが、実際の景色はもっとよかったです。

大八丁堀展 本の森ちゅうおう

お目当ての大八丁堀展へ。
「八丁堀って、同心が捕物してそうな?」というイメージでしたが、展示を見たら、いろいろわかりました。

八丁堀は、江戸時代初期に埋め立てられた土地。与力や同心の組屋敷が建てられるようになりました。

舟便のために、隅田川につながる堀が作られ、その長さが八町だったことが、八丁堀の名前の由来だそうです。この堀は、現在の桜川公園になっています。本の森ちゅうおうの真向かいが桜川公園だから、丁度ここは八丁堀の上ってこと?

こちらは、近世の江戸を描いた最も古い絵図だそうです。一番下の堀に「八丁堀」の文字が!
かわいい地図で、思わず笑顔になってしまいました。

昭和25年の地図と、現在の地図。昭和30年代~40年代に亀島川以外は埋め立てられたのですね。
八丁堀駅から歩いてきた道は、きれいな碁盤目状で、多分江戸時代に作られた道のまま。水路の町だった面影はないけれど。

本の森ちゅうおうは、6階建ての新しい図書館。今回の展示をした郷土資料館もはいっています。東京や中央区の本が、すごくそろっていて、お散歩する人必見の場所です。
テラスや屋上もあり、明るくて、開放感いっぱいでした。

入船と湊を散歩

本の森ちゅうおうから歩きだしたのは、そこで地図をたくさん手に入れたせいもあります。
佃島まで歩いてみることにしました。

この写真は入船町。水辺の町らしい名前。そして、細く長い道。

入船町湊町でとった写真です。
入船の名は、西側に入船川があったことからつきました。
湊は、商船が隅田川から上ってきて、江戸に物資を運び入れる江戸湊として栄えたところです。

佃島渡船場跡

鉄砲洲通りを南に歩き、大きな道を佃大橋めざして歩きます。
結構来た気がしますが、本の森ちゅうおうからは、ほんの数百m。

佃大橋の手前に、佃島渡船と刻まれた石碑が建っていました。

佃島は、大阪の佃島の漁師たちが、隅田川河口付近の約180m四方を拝領し、埋め立てて築いた島でした。その直後から、交通手段として島民による手こぎの渡し船がはじまりました。

島民の交通手段だけでなく、佃島に祭り見物などにいく人々にも使われた渡し船。運営は、明治16年に大倉組に、大正15年に東京都に移りました。東京都が渡船の開始を記念して建てたのが、今ある石碑だそうです。

隅田川には、多くの渡船がありましたが、最後に残ったのが佃島の渡しでした。佃大橋ができた昭和39年まで存続しました。

佃大橋を、佃島に向かう途中。
佃島の住吉神社の和の雰囲気と、バックのビル群のコントラスト。

佃島のつくだ煮の店

佃島といえばつくだ煮。老舗がのぼりを出していました。

路地の中にも佃煮の店つくしんがありました。
江戸時代、大阪から移ってきた漁師の保存食だったそうです。

佃まちかど展示館

佃まちかど展示館のウィンドウ。海を渡る神輿や盆踊りの写真に、とても引き込まれました。
中にはいれば、神輿や獅子頭が見られたみたい。見逃しました。

住吉神社 佃島の氏神

住吉神社は、佃島・月島の鎮守。鳥居の中央にある陶製の扁額は、区の有形文化財。
緑色の枠に青の文字がなんとも粋です。

道の向こうに住吉神社の鳥居。この景色いい!

住吉水門

石川島灯台跡と人足寄場

石川島灯台跡です。石川島の灯台を復元したもので、今は、公衆トイレも兼ねています。
看板によると、1866年に、灯台の前身となる常夜灯が作られました。これは、石川島人足寄場(いしかわじまにんそくよせば)奉行の指示で、人足が工事したもの。灯台ができて、漁師たちは喜んだそうです。

石川島人足寄場って、なんなのでしょう?
中央区観光協会特派員ブログにわかりやすい解説がありました。

石川島人足寄場は、1790年、松平定信が作った無宿(むしゅく)収容所のことだそうです。
無宿とは、罪を犯したり、戸籍から外されたりした人のことで、「労役に服しながら更生と社会復帰を目指す施設でした。油搾りや、木工、藤工、鍛冶工、味噌造りなど、さまざまな職業訓練を行い、作ったものの売り上げは、寄場の経費、人足の貯金などになっていたそうです。

現在の刑務所の原型とも言われていて、すぐれた取り組みだったと評価が高いと書かれていました。

想いがけず、人足寄場のあとを見て、大喜びで先に進みます。灯台の裏は、佃島公園になっています。そこを過ぎると水路。

佃小橋と日の出湯

佃小橋を渡ります。日の出湯 大栄マンションって、マンションに日の出湯の看板が埋め込まれている!

さんたつby散歩の達人のサイトに佃島の特集がありました。

日の出湯は、昭和20年代創業で、1983年に今のようなマンション銭湯になった。
この高いのは、看板ではなく煙突!重油で湯をわかした名残りだそう。
【月島・佃島さんぽ】銭湯からおしゃれ建具屋バーまで。 ガラパゴス化した島の愛おしい風景|さんたつ by 散歩の達人 (san-tatsu.jp)

佃住吉講の看板

佃住吉講の看板には「徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱木が埋設されておりますので、立ち入ったり掘り起こしたりしないで下さい」
う~ん、何いっているんだろう?

答えは、佃島住吉講HPに。

大幟の柱や抱木(だき)は、空気に触れて木が腐ってしまわないように、三年の間、川底に埋められています。
本祭りの年、水の引く干潮時を狙って掘り起こされます。
大幟の柱と抱木祭りが終わると、また三年の間、佃小橋の下に埋められます。

佃島住吉講公式サイトより引用(tsukuda.chuo.tokyo.jp)

住吉神社の大祭で使う大幟の柱と抱木(だき)を埋めていたんですね。掘り起こしてはだめ。

佃島の中でも、最初に埋め立てて人が住んだエリア。
ものすごく濃厚に、歴史が詰まっていて、独特の空気が流れていました。
今までここに来なかったなんて!

風情のある道。

通っていいんですか?の細道

佃島砲台跡

最後に見た佃島砲台跡。作られた時は、海の上だったのでしょうが、今は完全な町の中。

江戸時代末期に、外国船渡来に対処する防衛施設として作られた。明治20年には、この砲台を起点として月島の埋め立てが進められ、姿を消したそうです。

ここから月島駅はすぐ近く。
町は、ハロウィンの衣装の親子であふれていました。
このあたりは、高層マンションが増えて、若い家族が多いエリアです。

大八町堀展~佃島と江戸っぽい散歩でしたが、そこから戻ってきた気分で地下鉄に乗りました。

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