アド街お茶の水!2024.5.4放送&お茶の水さんぽ

アド街

2024年5月4日のアド街ック天国は、お茶の水を特集しました。
いやー面白かったですね。すぐにお茶の水に走っていきたくなりました!

このブログでは、
①アド街ック天国の放送内容の紹介
➁私がじっくり歩いたお茶の水さんぽの紹介
アド街を見て、お茶の水を歩いてみようと思う方に読んでいただきたいです。

アド街ック天国 お茶の水 オープニング

朝ドラのモデル・三淵嘉子が青春を過ごしたお茶の水。
日本最古の学生街であり、昭和40年には「日本のカルチェラタンにせよ」を合言葉に激しい学生運動もあった。
楽器やスポーツ用品の専門店が並ぶ街は、世界的にもユニーク。
今回は駿明大通りを中心にスポットを当てる。

ここからは、私がすみずみまでじっくり歩いた散歩を、アド街で取り上げられたスポットとともにご紹介!

お茶の水駅

JR御茶ノ水駅前です。
高校生のころ、毎日のようにこの町の予備校に通っていました。40年以上前。
駅前はそんなに変わっていないので、いつ来ても懐かしい。

お茶の水駅から聖橋の方を眺めます。右側はJRのホーム。神田川の上では何かの工事中でした。

お茶の水橋から反対側を見ると、順天堂病院の高い建物が見えます。

順天堂病院は、アド街お茶の水、6位病院街の中に登場。日本で初めて集中病棟を作った「順天堂大学医学部附属順天堂医院」は江戸時代から続く名門だそうです。

明大通りの方はこんな賑やか。楽器店がたくさんあるし、学生が多くて平均年齢が若い町です。

お茶の水の碑

横断歩道を渡ると植え込みの中にこんなものが。何度も来ているのに初めてちゃんと見た石碑。
お茶の水の由来が書かれていました。
・神田山にあった禅寺・高林寺でよい水が湧いた。
・秀忠公に差し上げたところ、お茶に用いられて「大変よい水だと」お褒めの言葉が!
・それから毎日この水を差し上げるようになり、寺は「お茶の水 高林寺」と呼ばれるようになった。この付近の高林寺に立ち寄ったとき、境内の名水で茶を点てました。その茶が美味しかったので、以後、将軍家の茶の湯に、この水が用いられることになったといいます。

最後の方は読みにくいのですが、このように書いてあるそうです。高林寺は、明暦の大火のあと本駒込駅近くに移転したそうです。

其の後 茗渓又小赤壁と稱して文人墨客が風流を楽しむ景勝の地であった 時代の変遷と共に失われ行くその風景を惜しみ心ある人達がこの碑を建てた
昭和三十二年九月九日」

「お茶の水」の碑より

千代田区町名由来版には、駿河台西の説明が。
千代田区の説明板は立派で詳細で、大変結構でした。

・駿河台は、もともと本郷・湯島台と地続きで神田山と呼ばれていた。
・徳川家康が、神田山を切り崩して、日比谷入江を埋め立て。さらに、神田川のもととなる平川の水害を防ぐため、飯田橋から隅田川下流まで、神田川を開削した。
・家康が駿河で亡くなったあと、役目を解かれ江戸に帰ってきた旗本たちが、このあたりに住んだ。彼らが駿河衆と呼ばれたため、富士山もみえるこの高台が駿河台と呼ばれるようになった。
・明治時代になると、華族も多く住んだ。

かえで通り

かえで通りを歩きます。予備校や学校が多い一画。コーヒーショップも多いけれど、ここは画材店。
トゥールズ お茶の水店です。

三楽病院、昔はレトロなちょっとこわい建物でしたけれど、すっかりきれいに。

とちの木通り

かえで通りと並行しているとちの木通りへ。

駿河台には、今も昔も駿台予備校。校舎もいくつもありました。

トラットリアレモン

「レモンがあった」と思ったら、店名がトラットリアレモンになっていました。
お店のホームページを見ると、トラットリアレモンは、昭和43年にレモン画翠の2号店としてオープン、昭和62年に「レモンパートⅡ」ビルへの建て替えで「トラットリアレモン」になったそうです。私が知っていたのは前のお店でした。

更に読んでみると、大正時代に開業した「今井鐵次郎商店」の娘夫妻が、昭和25年にお茶の水駅近くに、画材と喫茶を融合した画期的な店、レモン画翠を開店。このお店が2号店なのですね。
庭にプールのある邸宅を改築した趣のある建物と、フレッシュジュースやパスタが話題で、お茶の水といえばレモンという存在だったそうです。

旧文化学院

こちらの雰囲気のある建物は、元文化学院です。
文化学院の創始者は与謝野寛、晶子夫妻。
建物は、1936(昭和2)年に文化学院の創始者のひとりであった西村伊作の建築だそうです。

文化学院が2018(平成30)年に閉校したあと、企業の社屋として使用されています。中には入れないので、外から写真を撮りました。

女坂

女坂猿楽町に下ります。猿楽町と駿河台の間には元々は通路がありませんでした。関東大震災後の1924(大正13)年に2本の坂が作られました。急なほうの坂が「男坂」、やや緩やかな坂が「女坂」と名付けられたとのことです。

途中に踊り場があって曲がります。結構急です。踊り場から入れる家があってうらやましい。

女坂の下は会社がいくつか。一番手前は、テーラーです。

猿楽通りに出ました。路地の向こうに見えているのは教会?行ってみることにしました。

神田カトリック教会

カトリック神田教会でした!なんて重厚な建物。しかも明治7年からこの地にあるのでした。
現在の聖堂は、1928年(昭和3年)に完成したもの。中のステンドグラスが有名なのだそうです。

カトリック神田教会は1874年(明治7年)1月にこの地に創設され、東京のカトリック教会でも有数の歴史を持つ教会です。
その出発は1872年、三番町において始められたラテン学校です。再宣教に備えて将来の司祭をひそかに養成し始めていたおり明治6年2月24日にキリスト教の禁教令も解かれ、フランス公使ベルトミー氏の斡旋により、この地にあった元旗本の三屋敷を入手し、その70畳の大広間を聖フランシスコ・ザビエルに捧げる聖堂としたのが今日の神田教会の始まりです。

カトリック神田教会ホームページより引用

白山通り

そのまま白山通りの方まで出てみると、日大経済学部の校舎がありました。水道橋駅がすぐそこです。

白山通り沿いに三崎(さんさき)町教会。こちらは近代的なビルの中に入っています。

錦華通り

神田カトリック教会があった錦華(きんか)通りをしっかり歩きたいので、神保町の方まで白山通りを進み、もう一度戻ってくることにしました。今日のランチは一つ候補があるのですが、よいところがあれば入るつもりで歩きます。

碑が立っていました。「吾輩は猫である 名前はまだ無い 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」とあります。読んでみるとここは錦華小学校跡で、夏目漱石も通った学校だったそうです。

夏目漱石は幼少時に養子に出され、小学生の時に実家に戻されたそうで、細切れで色々な学校にかよったようです。錦華小学校に通ったのも11カ月間と短い期間でした。優秀で色々な学校で飛び級を繰り替えしたといいます。

碑がある場所は、現在はお茶の水小学校の敷地。錦華小学校を含む3校が合併した近代的な小学校でした。散歩した日は入学式で、みなさん記念撮影していました。

錦華通りを北の方へ歩いていきます。万年筆の専門店 BUNG BOXがありました。

こちらはむすなや米店。錦華通り沿いの店はらいす倶楽部というおにぎりのテイクアトの店のよう。
お米屋さんは明治からの老舗のよう。らいす倶楽部は、バリエーション多数の(シュウマイおにぎりもある)おにぎり、お味噌汁、漬物など評判がいいみたいです。

パンチマハルは気になりました。カレーの有名なお店なのですね。ワンオペの人気店なので、注文する際にはお約束があるみたい。でも非常においしいらしい。

そば処 冨多葉(ふたば) 半々丼が有名な老舗 アド街お茶の水11位

錦華通りは、白山通りと並行して北に向かいます。広い道ではないけれど、古い建物が残ります。神田カトリック教会近くのこのあたりもいい感じ。

右に見えているのは、そば処 冨多葉。大正8年創業のそば店で、建物は100年以上前からのものだといいます。二代目夫妻と三代目夫妻の家族4人で切り盛りするアットホームな店です。

アド街 お茶の水では、「蕎麦を作る場所として作られた地下室が戦時中には防空壕として使われた」という話題も出ました。今でもその部屋では、二代目が蕎麦を打ち、板をあけて蕎麦が店にでてきます。自宅も兼ねているので、店が空いた時間には家族もお店で食事をするという風景も。

左の建物は神田猿楽町町会詰所。昭和5年くらいに猿楽町駐在所として建てられ、その後町会の詰所として使われています。映画のロケにも何度も登場したそうです。コンクリート造りの駐在所は、当時としては画期的でした。

松翁(まつおう) アド街お茶の水17位

上の交差点をまっすぐ行って右にはいったところの松翁も17位に登場し、このように紹介されました。

この店には山の上ホテル滞在中の池波正太郎もよく通っていました。山かけそばが好物でした。
天ぷらが評判で、揚げたてが提供されます。揚げ方はかつてのご近所だった天ぷらの「天政」の主人から教わったそう。今は稚鮎が旬です。

錦華通りに戻って、神田カトリック教会を通り過ぎたあたり。オレンジのお店はSAINO アジアンキッチン サイノ神田猿楽町店。こちらもカレーがおいしいみたいです。

猿楽通り

錦華通りと並行する猿楽通りを通って南に戻ります。
駿河台と猿楽町の崖下を通る道です。

看板には猿楽町の由来が書かれています。
・猿楽(のちの能楽)の「観世座」の家元や一座の屋敷がこのあたりにあったことから、この一帯に猿楽町という名が生まれました。
・江戸時代には武家屋敷が連なていて町名はなかったが、明治時代になってから猿楽町という町名が正式に誕生した。

猿楽通りは落ち着いた感じです。左にあるのは東京音楽大学発祥の地の碑です。

猿楽通りを左に曲がると男坂。駿河台に上がるまっすぐな階段です。

明治大学の図書館。現代マンガ図書館って気になります。

団地みたいだけれど、明治大学の建物でした。

この道は閉館した山の上ホテルに向かう道です。

再びお茶の水小学校に戻ってきました。

慶長元年創業の豊島屋本店は「江戸名所図会」にも乗った店であるが明治維新で武士からの掛け金が回収でき倒産危機に陥ったことがあった。そこで蕎麦店に醤油を卸し販路を拡大したという。

豊島屋本店 アド街お茶の水3位 

お茶の水小学校のすぐ近くにあるのが、豊島屋本店。アド街3位「江戸の老舗」の中で登場。慶長元年創業で「江戸名所図会」にも載っているような老舗。「明治維新で武士からの金が回収できなくなり危機に陥ったが、蕎麦店に醤油を卸し販路を拡大した」と店主が歴史を紹介しました。

丸香&直白 アド街お茶の水 10位

猿楽通りが錦華通りに合流したあたりに行列が。うどんの丸香。ここもランチ候補だったのですが・・

この丸香は、アド街お茶の水10位に「丸香&直白」として登場。次のように紹介されました。
丸香は、東京一の讃岐うどん店と評判。徳島県鳴門産の天然わかめの「天然わかめうどん」が人気です。

口コミを見ると、天ぷらがおいしいという声も多く聞かれました。しばらくは、もっと混んでしまうかもしれませんが、いつか行きたいと思っています。

すぐ近くの讃岐うどんのお店直白も取り上げられました。「しょうゆうどん&大海老天盛り」がイチオシ。店主が考案した背脂たっぷり「ジローうどん」は1日5食限定だそうです。丸香の近くで「対王者」でできるのがうれしい、と語る店主。

神田小川町

ここから、この町の有名飲食店が密集しているゾーンを歩いていきます。
時間は11時半、いいひとりごはんができますように。

飲食店だらけの中、ロシア通りのサラファンを目指します。

サラファン ロシア料理店で女子ひとりごはん

緑のテントにサラファンの文字が。1966年(昭和41年)創業のロシア料理店と聞いて、ここに来たいと思っていたのです。

細い階段を地下に。自動ドアがこわれているらしい。えいっと中へ。
少しお待ちください、と階段で待つことしばし。
「混んでくると、席の間にテーブルを入れてくれる」と口コミに書いてあったけれど、私の席もそうやって作ってもらったみたい。小さいテーブルだけれど、きちんとテーブルクロスがかかっている。
お店はテーブルとカウンターがほぼ満席。

メニューを見て、席から注文を叫ぶ仕組みなのも面白い。
ランチとグラスワインを頼みました。

2~3人の客と一人客が半々くらいで、割と回転は速い。昼だけれど、ワイン率は高い。
ランチにピロシキもつけている人が多い。

ボルシチです。サワークリームを溶くとピンク色に。すごくおいしいし、たっぷりある。

ランチメニューのチキンとポテトのクリーム煮。イメージしていたロシア料理というより、昔懐かしい西洋料理の雰囲気。やさしい味でこちらも美味でした。

はいれてよかった。とても満足なひとりごはんでした。

明大通り

明大通りの坂道をお茶の水駅の方へ上がります。神保町とお茶の水を結ぶこの道は、いつもにぎやか。

この通りにあるエチオピアは有名なカレー店ですね。アド街お茶の水9位「カレー」の中で紹介されました。オープン以来の行列店で漢方にも使われる12種類のスパイスが使われた「チキンカレー」が食べられます。山田五郎さんによると、「エチアピアの名は喫茶が主だった時代のコーヒーから来ている」

この先にあるキッチンカロリーは、第4位学生めしに登場。昭和28年に創業した店で「ごはんが全部食べれば特盛まで無料」のサービスは学生の味方。

明治大学通りの向こうのビルには、クロサワ楽器内外地図。アド街お茶の水第4位は、「スポーツ用品街&楽曲街」。昭和47年にオープンのヴィクトリアゴルフ お茶の水店。昭和10年に創業した谷口楽器下倉楽器Hpbo’s、とともにクロサワ楽器店がとりあげられました。

明治大学 アド街お茶の水1位、20位

明治大学のリバティータワーです。
アド街お茶の水20位「高層タワーの校舎」の中に登場。

番組では、学生街の歴史がこんな風に紹介されました。

お茶の水の学生街の歴史は、お茶の水女子大の前身が開校したのが明治8年にさかのぼります。
日本最古の私立法学校東京法学社(現法政大学)を皮切りに、現明治、専修、中央などの法律学校が次々開校。お茶の水は、法学教育の中心に。

近年は、校舎の高層化が進んでいるが、明治大学リバティタワーはその先駆けで、平成10年に竣工。17階のスカイラウンジ暁は一般の人も利用可能な学食。メンチカツ丼が学生に人気です。
ゲストのお二人(明大卒)は、「授業に行くのにエレベーターが混んで、エスカレーターで移動するのが大変だった」と思い出を語りました。

明治大学の掲示板には、今の朝ドラ「虎に翼」のポスターが。
掲示板を見ると、明治大学では一般向けの展覧会や講演会も多く催されているみたいです。

今回のアド街お茶の水1位は「 日本最大級の学生街」
この中で、明治大学で行われている法学部学生の模擬裁判の様子が紹介されました。

明治大学の大先輩で現在の朝ドラの主人公が日本初の女性弁護士の三淵嘉子。後に裁判官になり、広島・長崎への原爆投下は国際法違反と判決を下すなどの功績があります。
三淵嘉子が「授業の合間に東京YWCAの女性専用の温水プールを訪ねていた」たというエピソードも紹介されました。「成績優秀なので、それまで交流がなかった男子生徒からも勉強を教えてと頼まれた」「初の女性総代」など、さまざまな面で道を切り開いていたようです。

山の上ホテル アド街6位

明治大学の建物にはさまれて、旧山の上ホテルへの道がありました。

閉館している山の上ホテルは、アド街お茶の水6位で登場。このように紹介されました。

山の上ホテルは昭和12年完成のアール・デコ様式のホテルで、川端康成も利用しました。
ゲストの羽田圭介さんは、「文芸賞を受賞した際の授賞式がこのホテル。花を忘れてしまって翌日取りに行ったら、すぐに手渡してくれた。接客すばらしい」というエピソードを語りました。
「Bar non non」には伊集院静さんのウイスキーのボトルが残されていました。くせのある字ですが講談社の羽鳥さんが解読してくれました。「2016年 日経新聞の取材で山崎蒸留所を訪ねる。許可無しに飲まぬよう。但しバーテンダーはよろしい伊集院静」「職人が好きな人だったから、バーテンダーがこれを飲んで勉強してほしい、という意味だったのかな」

茗渓(めいけい)通り

ここは茗渓通り、聖橋の方へ向かいます。右に書店の丸善、左には画材のレモン画翠1号店があります。

茗渓について、山田五郎さんがこんな風に紹介していました。
茗とはお茶のことで、茗渓はお茶の水の渓谷のこと。初期にお茶の水にあった東京高等師範学校(現在の筑波大)は、同窓会の名前「茗渓会」。ちなみに三淵嘉子が明治大学の前に通った東京女子師範学校附属高等女学校(今は茗荷谷のお茶の水女子大学)もお茶の水にあった。

レモンの先にある、お茶の水駅改札近くの狭小のお店、カレー屋 ジョニーが第5位「学生メシ」に登場。店内にはカウンターにお客さんがずらり、2階もあってそこにも席があります。「チキンカツカレー」で学生証を見せると「ビックリチキンカツカレー」に変更してくれる。量だけでなく味も美味しいと学生さんは語りました。

レモン画翠(がすい) アド街お茶の水7位

レモン画翠は、アド街お茶の水7位で登場。こんな風に紹介されました。

レモン画翠は、レモンという喫茶店で画材を販売したのが始まり。
お客さんの多くは学生。インタビューに答えたのは東大建築学部の学生たち。「ここは建築模型の材料が唯一手に入るお店」と答えます。
建築模型に使うフィギュアも販売している。バリアフリ時代にふさわしい車いすのフィギュアや、日本人の体形にあわせたフィギュアもあり、建築模型にリアリティを生み出しています。

建築模型を扱っているんですね。お店のホームページを読むと、大正時代に開業した画商「今井鐵次郎商店」の娘夫妻が、昭和25年にオープンしたとあります。

聖橋 アド街お茶の水5位

聖橋からの景色は、「これぞお茶の水」。
下の橋を赤い丸ノ内線が通ります。丸ノ内線がいるところで写真撮ればよかったなあ。

聖橋は、アド街お茶の水の5位 で登場。こんな風に紹介されました。
聖橋は、関東大震災の復興事業の一環で作られた。湯島聖堂とニコライ堂の間にあるため、聖橋と名づけられた。鉄道ファンに人気で、丸ノ内線・中央線・総武線が同時に見られる瞬間を狙っている。

ですよね!一つも電車が走っていない写真を撮ったことにがっかりする私です。

お茶ナビゲート

新お茶の水駅前の複合施設ソラシティの地階にある「お茶ナビゲート」
こちらは、お茶の水周辺の歴史が展示されていたり、パンフレットもたくさん置いてある案内所。
これから神田の方を歩きたいので、ちょっと寄って展示を眺めました。

ソラシティや新お茶の水駅の駅ビルの地下は、ちょっとした広場になっていてゆっくりできます。

山田屋 アド街お茶の水 18位

ニコライ堂を見ようと歩きだしたのだけれど、裏側から来てしまいました。定食屋さんのやまだがいい感じなのでよそ見をしました。

何も知らずに写真を撮った山田屋は、アド街お茶の水18位に登場!こんな風に紹介されました。

創業80年以上の町中華の山田屋。食券は色とりどりのプラスチック製。チャーハンの上に麻婆豆腐がのった麻婆チャーハンが人気。テレビ取材を断ることが多かったが、店主さんが新婚で奥さんとテレビに出たいと今回出演することになった。新婚のみゆきさんのおすすめは、厚切りチャーシューが乗ったチャーシューメンだそう。

ニコライ堂 アド街お茶の水2位

ニコライ堂です。ここもお茶の水らしい景色。

アド街お茶の水には、2位で登場。こんな風に紹介されました。

9年前の取材の時、特別に鐘を鳴らす様子を撮影させてもらった。2018年には鐘を一部交換し、10個の館が新たに増え、賑やかになった。

ニコライ堂は、鐘が鳴る時に行くといいんですね。あと、鐘は修道女さんが手足をフル活用して鳴らしているんですね。

漱石も通った眼科 井上眼科医院 アド街お茶の水8位

ニコライ堂近くの茶色いビル「井上眼科医院」は、8位病院街の中で、こんな風に紹介されました。
井上眼科医院は、現存する日本最古と言われる眼科病院。夏目漱石が通ったことで知られている。正岡子規への手紙で「初恋の女性に出会った」と綴っていて、症状は軽かったが長期間通院したと言われる。


鏡子夫人の「漱石の思い出」にも「すらっとした女の人がいてそういう人が好きだ」と漱石が言っていたと書かれているそうです。奥さんに気になる人のことを発表していた夏目漱石、なんだかいいですね。

今回の散歩で「このエリアだけは歩かなかったな」と思ったのが、ニコライ堂から神保町までのエリア。アド街ック天国では、このエリアのポンチ軒三燈舎笹巻き抜け寿司が取り上げられていました。美食エリアだったのか~ちょっと残念に思いながら3軒をご紹介。
19位の美容室駿河台 矢口もこのあたり。有名な美容師の矢口さんは、イラストレーターの協力で地元の地図も作ったそうです。14位の料亭 面(おもて)は矢口の隣。政財界の人も来る創業60年の料亭ですが、女将さんは店の前の路地を緑にいっぱいにしているそうです。

笹巻けぬきすし アド街お茶の水3位

アド街お茶の水3位「江戸の老舗」として紹介されました。元禄15年創業で、店名が毛抜で魚の骨を抜いたことから。笹を巻いた丸いフォルムは300年変わっていない。

口コミを見ると、老舗らしい風格のお店で、美味しくリーズナブルな値段のランチが好評のよう。
店名にもなってい笹巻きぬけ寿司は、殺菌効果があると言われる笹で巻き、魚の小骨を毛抜きで抜き取って作ります。戦国時代に兵粮を笹の葉で巻いて運んだことを参考に、初代主人が始めたといいます。お持ち帰りする人もおおいけれど、店内でもいただけるそう。

ポンチ軒 アド街お茶の水13位

とんかつの名店ポンチ軒は、こんな感じで紹介されました。

1番人気の特ロース豚カツ定食は、ゲランドの塩で食べるのがおすすめ。特ヒレ丸ごと一本揚げは、夜限定。こちらは、自家製ソースとスーパー特選太陽ソースのブレンドで食べます。

三燈舎 アド街お茶の水9位

同のエリアの三燈舎は、アド街お茶の水9位のカレーで登場。バナナの葉の上で食べるカレーが評判。オーナーは開店前に机に長~いバナナリーフを敷きます。バナナリーフはお皿として使うと、香りでカレーが美味しくなるといいます。

お茶の水~神田須田町

神田須田町の方に歩きます。はじめて行く場所なので楽しみに歩いていきます。

幽霊坂を降ります。昔はうっそうとしていたのだろうけれど、今はこんなおしゃれな橋がかかっていたりして、幽霊出なそうです。
右側はワテラスという複合施設になっています。

この建物が気になりました。
区営淡路町高齢者住宅の看板が。
RAKU SPAってお風呂もある?

調べてみると、上階は高齢者住宅、下の方がスパみたいです。
「遊べる」要素を盛り込んだチエーンのスパ施設「RAKU SPA」の一つで、ランニングステーション、コワーキングスペース、ダイニング&パブなどもあるそうです。

外堀通りまで来ました。中央線がすぐそこを走っています。

ワテラスの正面に来ました。それにしてもこんなに大きいワテラスってなんでしょう?

神田淡路町が培ってきた、「和」「輪」「環」の3つのWAをコンセプトにデザインされた施設は、オフィス、レジデンス、学生マンション、商業施設、コミュニティ施設(ホール、ギャラリーなど)で構成され、再開発事業の総面積は2万2千㎡にもおよびます。

引用元 ワテラスノホームページ

ここにあった淡路小学校の統廃合を機に作られた複合施設で、園内には江戸情緒あふれる「神田花暦園」もあるらしい。正面に植えられた木(ハナモモか桜)もきれいでした。

淡路町・須田町の老舗街

お茶の水駅、神田駅、秋葉原駅の中間(どこからも400mくらい)に老舗が集まる町があると聞いてやってきました。
神田須田町は、江戸時代も、都電か走っていたころも、江戸・東京の交通の要でした。

もうやっていなさそうな店もありました。

老舗が集まっている通り。本当に小さい区間に、老舗がぎゅっと集まっています。

あんこう鍋のいせ源です。

これは看板建築ですね。右のお店は、アナンダ工房神田須田店。インド素材の洋品店らしいです。

この読めない看板はぼたん。鶏料理店です。

ここは甘味で有名な竹むら

老舗喫茶のショパンです。

神田藪蕎麦。このお店は、じっと見ていたら。声をかけてもらいました。予約すれば週末でも席がとれるみたいです。お店の方が親切でした。行ってみたい!

山本歯科医院も、重要な建築物の看板が出ていました。

旧万世橋駅

旧万世橋駅の変遷を示すパネルがありました。
須田町が都電の重要拠点だったこともあり、かつては東京駅に負けないくらいの立派な駅だったそうです。
戦後は交通博物館だった時代もありました。子どものころ確か大好きだったような気がします。

現在は、旧万世橋の遺構を活かした商業施設ができています。鉄道を見ながら食べたりしたいです。

雨が降ってきてしまいましたが、ガードと神田川がよい眺め。

昌平橋

昌平橋までやってきました。

神田川に架かる橋で、最初は寛永年間(1624~1644)に架けられたといわれています。
昌平橋の名の起こりは、徳川綱吉が湯島に聖堂を造営し、孔子の故郷である中国の昌平郷にちなんで、昌平橋と名乗るように命じたのが橋の名の由来だといわれます。
何度か洪水で流され、現在の橋は昭和3年にかけられました。

中山道や日光に向かうお成り道に向かう通り道だったそうで、橋の南側には「八小路」と呼ばれる広場があったそうです。

昌平橋立派です。お茶の水からこの辺の景色の特徴は、たくさんの橋や鉄橋が斜めに交差しあっているとことろにある気がします。今も交通の要衝だから、こんなことになっているんだけれど、不思議な魅力があると思います。この写真にも、小さく聖橋が見えています。

神田明神に向かって歩いていたら、秋葉原の電気街をかすっていました。

神田明神

神田明神に向かう明神下通り。右のしましま緑のテントの建物は電子部品の工場でした。カフェじゃないのになんてかわいい。秋葉原にも近いこのあたりには、工場が多いようです。

神田明神というよりは、電気、電子の看板が続きます。

神田明神に上がる階段がありました。神田明神下みやび本店があり、神田明神らしい雰囲気に。

明神男坂は、振り返るとこんな景色で、素敵でした。

坂の途中に面白い看板がありました。ここには、開花楼という料亭が建っていたそうです。深川まで見える眺めや、料理が有名なだけでなく、文化的催しも多かった料亭で、島崎藤村の結婚式もここだったと書いてありました。

神田明神にやってきました。

終盤の桜とのコントラストが最高。

神田明神名物 ジンジャーエールを飲みました。神社だけれど、とてもゆっくりできて、お土産売り場も洗練されてゆっくりできました。

神田明神から湯島聖堂の方に出てきました。胡蝶蘭専門店って、珍しい。

湯島聖堂は横から失礼して、お茶の水駅へ。

お茶の水は、数百m歩くと、神保町、秋葉原、神田と有名な町に着いてしまいます。どこまでがお茶の水なのか悩むところ。
江戸時代にも、明治時代にも、江戸・東京の重要なスポットだったこのあたりは、落ち着いた散歩ができます。

アド街ック天国を見たら、行きたい場所が増えてしまいました。また歩いてみたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました